生没年・出身地・歿地・墓地
クロード・アシル・ドビュッシー生誕 Claude Achille Debussy
(1862年8月22日パリ郊外サン・ジェルマン=アン=レイ生)
(1918年3月25日パリで歿)
1.職業
フランスの作曲家
2.称号
3.経歴
父は陶器店を営んでいたが、勤め人になる
カンヌの伯母の伝手でチェルッティにピアノを習う
やがて才能がヴェルレーヌの義母でショパンの弟子モーテ・ド・フルールヴィル夫人の目にとまる
1871年フルールヴィル夫人にピアノを習う
1872年10月22日パリ音楽院入学
1873年エミール・デュランに和声学、アルベール・ラヴィニャックにソルフェージュ、エルネスト・ギローに作曲、ピアノをアントワーヌ・マルモンテル、オーギュスト・バジュにピアノ伴奏法を師事。裕福でなかったためフォン・メック夫人のピアノ伴奏をして学資を稼ぎながら勉強をする
1884年カンタータ「放蕩息子」作曲によりローマ大賞受賞。パリ音楽院卒業。
1885~87年ローマ留学
1886年留学作品として「ジュレイマ」留学作品
1887年留学を終えパリに戻る。「交響組曲「春」留学作品
1888年カンタータ「選ばれたおとめ」留学作品。。バイロイトに行きワグナーの作品を聴く
1889年国民協会へ入会し人脈と作品の発表の機会を得る。バイロイトに行きワグナーの作品を聴く。歌曲「ボードレールの五つの詩」作曲
1890年「ピアノと管弦楽の幻想曲」留学作品以上の4曲がアカデミーに提出されている。名前を「あしる=クロード」から「クロード=アシル」に変える
1891年ピアノ曲「二つのアラベスク」と歌曲「艶なる宴第一集」作曲
1893年初演した「弦楽四重奏曲ト短調」で名声を得る。
1894年「牧人の午後への前奏曲」初演で作曲家としての地位を確立したが、私生活では女性関係のトラブルがあり、多くの友人を失うこととなる
1902年オペラ「ペレアスとメリザンド」作曲。私生活では1898年以前から同棲していたギャビーと別れる
1903年リリー・テクシエと結婚。レジオン・ドヌール勲章授与されるが生活は楽ではなかったようだ。そのため批評家・指揮者・ピアノ伴奏者としても活動している。銀行家バルダック夫人のエンマと結婚を決意し、それを知り悩んだリリーが自殺未遂を起こす
1905年交響的スケッチ「海」作曲。エンマとの間に長女クロード=エンマが生まれる
1908年「子どもの領分」作曲
1910年「前奏曲第一集」作曲
1914年大腸がん発病
1916年離婚した元妻のリリーに対する月手当が1910年以降未払いになっているため裁判所から供託金支払い命令が届く
1917年7月一家はスペイン、サン=ジャン=ド=リューズに3カ月滞在する
1918年初めごろから直腸がんにより起きられなくなり3月25日夕方静かに息を引きとる。3月29日葬儀。翌年パッシーの墓地に埋葬。
1919年長女エマがジフテリアによる髄膜炎により夭折。妻のエンマはさらに16年後の1934年に世を去る
4.主な作品
オペラ「ペレアスとメリザンド」、交響詩「海」ほか
5.その他
6.初演
7.関連動画
Prélude à l’après-midi d’un faune – Leonard Bernstein
Petite Pièce for Clarinet and Piano
Sonata for violin and piano. David Oistrakh (violin),Frida Bauer (piano)
“Pelléas et Mélisande” Claudio Abbado
Arabesque No. 1 in E major Stanislav Bunin
Deux Arabesques (Harpe) – Héloïse de Jenlis
Beau Soir Dietrich Fischer- Dieskau
Waltz ‘La plus que lente’ 1946 Jascha Heifetz
Waltz ‘La plus que lente’ David Oistrakh
La Fille Aux Cheveux De Lin David Oistrakh
La Fille Aux Cheveux De Lin Jascha Heifetz
Jascha Heifetz plays Clair de Lune
Clair de lune
John Williams & Julian Bream: C.Debussy-Clair de Lune
Clair de lune – guitare