プッチーニ

生没年・出身地・歿地・墓地
ジャコモ・プッチーニ(ジャコモ・アントニオ・ドメニコ・ミケーレ・セコンド・マリア・プッチーニ)生誕 Giacomo Puccini (Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini)

(1858年12月22日トスカーナ地方・ルッカ生)
(1924年11月29日ベルギーのブリュッセルで歿)

1.職業

イタリアのオペラ作曲家

2.称号

3.経歴

1712年以来代々の音楽家の家系で父も音楽関係であったが、プッチーニが5才のとき世を去る、叔父の世話により教育を受ける
幼いころは目立った楽才を示していない。ちちの弟子たちに音楽を教えられオルガン演奏や音楽理論を学ぶ
1876年「交響的前奏曲」作曲
1880年ミラノ音楽院に奨学生で入学しポンキェッリとバッジーニ に師事
1883年「交響的奇想曲」作曲
1884年処女作オペラ「ヴィッリ」はミラノで初演され認められる
1889年二作めのオペラ「エドガー」は失敗に終わる
1890年弦楽四重奏曲”菊”」作曲
1893年3作目の「マノン・レスコー」の初演され一応の成功を収める
1896年、トリノで初演されたオペラ「ラ・ボエーム」はトスカニーニの指揮で上演され大成功を収める
1900年オペラ「トスカ」ローマで初演。作曲中に自ら運転事故を起こし右鎖骨骨折で入院している
1904年オペラ「蝶々夫人」ミラノで初演。人妻のエルヴィラ・ジェミニャーニと駆け落ち後、長い同棲生活を続けていたが彼女の夫の死後にやっと結婚する
1910年ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場委嘱オペラ「西部の娘」は好評を得られることなく終わる
1919年オペラ「外套」」・「修道女アンジェリカ」・「ジャンニ・スキッキ」初演
プッチーニは次作「トゥーランドット」の作曲にあたって古代中国のリズムや音楽を聴くために大英博物館の資料を使わせてもらった。
1922年春、イタリアからベルギーに向かう途中、インゴルシュタットという小さな町で昼食をとりに食堂へ入り、鉱物の鵞鳥のローストを食べているうちに急にせき込み、骨の小片が喉にささってしまった。
医者を呼んで取り除いてもらったが、小さい傷はなかなか治らず半年もしないうちに咽頭の悪性の病気のきっかけになった。
激しい咳の発作に襲われながらもオペラ「トゥーランドット」は第三幕、「リューの死のアリア」まで作曲を続けている。ほとんど完成しかけた作品を指揮者トスカニーニに弾いて聴かせた。
リューの死ぬ場面で弾く手を止めて、じっと聴いているトスカニーニの方を向いていった。
「私にはこの後を完成する時間が残っているかどうかわからない。もしもだめだったら「トゥーランドット」の上演の際、だれかが前に出て観客にこういってもらうように、あなたがとりはかってくれませんか。
”作曲者はここまで書くことができました--それから死にました”と」
1924年春、喉頭にはっきりしない痛みを感じた。フィレンツェで検査を受け喉頭蓋のしたに腫瘍が見つかる。
悪性と分かり手術を行うことになり、医師団はブラッセル病院を勧めた。
入院後ラジウム照射が12回行われ、出血も止まり腫瘍も縮小し一時退院した。
11月28日容態は急変し、脈拍は100以上となりショック状態に陥った。
翌朝イタリア大使と最後の祝福を告げに法王の使者が見舞う。
これが最後の別れとなる11月29日正午前に65才の生涯を閉じる。
全世界がその死を悼んだ。
ミラノ大聖堂で行われた葬儀は、トスカニーニが葬送行進曲を指揮し、ムッソリーニが追悼の辞を読んだ
1926年4月25日オペラ「トゥーランドット」の初演がミラノ・スカラ座で行われた。
男性は黒服、女性は黒のイブニングドレス、世界中からあらゆる芸術家が参列したという。
リューがこの世からの別れを歌い終わると、指揮者トスカニーニは観客に向かって、「マエストロのオペラはここで終わります」とおごそかに宣言した。
オペラの歴史のなかで最も忘れがたい「瞬間のひとつであったと記載されている。
ちなみに「トゥーランドット」の最終部分は、プッチーニの弟子のフランコ・アルファーノによって完成される

4.主な作品

オペラ「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「西部の娘」「外套」「トゥランドット」「ジャンニ・スキッキ」「修道女アンジェリカ」ほか

5.その他

6.初演

7.関連動画


Carlos Kleiber: La Boheme (Puccini) – La Scala 1979 (Complete)
 


La Boheme – Freni, Raimondi, Martino, Panerai. Full Opera
 


Tosca- E lucevan le stelle Pavarotti
 


TOSCA Kabaivanska,Pavarotti,Wixell-Osawa 1980 Scala sub español(leonora43)
 


Amarilli Nizza as Giorgetta in Puccini’s “Il Tabarro”
 


Il tabarro Tito Gobbi
 


Suor Angelica  Francis van Broekhuizen
 


Gianni Schicchi 2004
 


Maria Callas singt “O mio babbino caro” Gianni Schicchi
 


Madame Butterfly – Maria Callas
 


Madama Butterfly
 


MARIA CALLAS – Madama Butterfly – Karajan – Studio 1955
 


Nessun Dorma – Turandot (José Carreras, Placido Domingo & Luciano Pavarotti)
 


Turandot Pavarotti sings Nessun Dorma in 1979
 


Turandot Éva Marton, José Carreras, Katia Ricciarelli; Vienna State Opera, Lorin Maazel, 1983
 


TURANDOT Dimitrova,Domingo,Ricciarelli Maazel 1983 Scala sub español(leonora43)
 


Turandot. Montserrat Caballé – Luciano Pavarotti. Chailly 1977.
 


TURANDOT at the Forbidden City Beijing 1998 Multi Lang. In Cc [Etcohod]
 

 

 

 


“Requiem” – Yuri Gandelsman, MSU Chorale and Ad Libitum, conducted by David Rayl
 


Messa di Gloria for solo voices, choir and orchestra
 


Messa di Gloria
 

参考文献:「クラシック作曲家辞典」中河原理監修、フェニックス企画編 東京出版堂 「音楽史(音楽講座)」堀内敬三著 音楽之友社 「偉大なる作曲家のためのカルテ」五島雄一郎著 医療ジャーナル社 「wikipedia」 「glennmie.blog.s0-net.ne.jp」 「robortkelloyphd.com」 「dictionary/composer/alkan」 「maucamedus.net/solmization/gawut」 「www.tcat.ne.jp/eden/music」 「www.cadenza-od.com」 「www.coara.or.jp/-doraemon/gagaku/nenpyoz.htm」 「www.gecities.jp/gzgaku.ryuteki」 「www.univesal-music,co.jp」 「maokato.jp/bihoro/bihoro 「homepage3.nifty.com/cio/a-alta」 「www.wagnerdailas.com」 「江戸東京年表」吉原健一郎・大濱徹也編 小学館 「日本史・世界史 同時代比較年表」楠木誠一郎著 朝日新聞出 「音楽文庫・日本音楽史」伊庭孝著 講談社 「tsuzu/asakusaopera-nenpu.html」 「tsuzu/operetta-kafu.html」