小澤征爾物語 シリーズ‐11‐ 1962年演奏会記録
1962年(昭和37年)27歳
【楽歴】
【活動記録】
・1月サンフランシスコ交響楽団指揮デビュー
・NHK交響楽団客演指揮者として指揮
・1月ピアニストの江戸京子と結婚
・2月NYPヤング・ピープルズ・コンサートで
ニューヨーク・フィルを指揮
・4月NYPヤング・ピープルズ・コンサート、
ニューヨーク・フィルを指揮
・5月ニューヨーク・フィルを指揮
・6月20日から10月22日半年間のNHK交響楽団
と契約
・帰国
・10月征爾はN響と東南アジアへ二週間の演奏
旅行
・10月日本フィル第51回定期演奏会を指揮
・11月N響の演奏委員会が「今後小澤氏の指揮
する演奏会、録音演奏には一切協力しない」
と表明
・12月N響定期公演に向けリハーサルを開始す
るが、楽員のボイコットで練習不能に。
(N響事件)
・12月20日N饗第435回定期公演は中止と発表
された
・12月21日新聞社会面に「天才は独りぽっち」
とか「指揮台にポツン」と報道した。
・N響とのトラブル後、ニューヨークに戻った
征爾は、マネージャーのロナルド・ウィルホ
ードにきっぱり『オレ、もう日本になんか帰
らないよ』といったという。
・サンフランシスコ交響楽団を指揮して北米で初の
日本人プロ指揮者となりアメリカ指揮者デビュー
【演奏会記録】
1月10日サンフランシスコ響単独指揮デビュー
2月17日<ヤング・ピープルズ・コンサート>
ドビュッシー《牧神の午後への前奏曲》などニューヨーク・フィルハーモニックを指揮
RPI フィールド ハウス、トロイ、ニューヨーク
https://archives.nyphil.org/index.php/artifact/ad900730-3fdd-4658-8847-63d466254bbe-0.1/fullview#page/1/mode/2up
4月7日<ヤング・ピープルズ・コンサート>
モーツァルト《フィガロの結婚》序曲、
ニューヨーク・フィルハーモニックを指揮
カーネギー ホール、マンハッタン、ニューヨークにおいて
https://archives.nyphil.org/index.php/artifact/3adbc876-c95d-4068-80a5-5ba4cc045a52-0.1/fullview#page/1/mode/2up
5月3,4,5,6日
アイヴス《宵闇のセントラルパーク》Ive
ニューヨーク・フィルハーモニックを指揮
ニューヨーク州マンハッタン、カーネギーホール
https://archives.nyphil.org/index.php/artifact/492de303-500c-4bc6-994d-6c04d3eec2f7-0.1/fullview#page/1/mode/2up
1961年から62年のシーズン、ニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者小澤征爾(25歳)でフィルハーモニックとニューヨーク・デビューを果たした後、ニューヨーク・タイムズ紙は「彼の指揮のもと、音楽は見事に生き生きとしたものになった」と評した。
・5月ニューヨークでのアシスタント指揮者の契約が終わった。
・『小澤は、アシスタント指揮者を務めたレナード・バーンスタインに次いで、他のどの指揮者よりも見ていて魅力的だった。(しかし、彼は神秘的に無気力なヘルベルト・フォン・カラヤンにも師事していた。)指揮台の上では、小澤自身がバレエ団のようで、しなやかな体と、自ら踊る長い髪で、楽譜を優雅に演じていた。それは、音楽に対する彼のアプローチと同じくらい洗練されていた。
しかし、指揮台に立つ彼の態度は演技ではなかった。彼のオーケストラは理解とバランス、そして完全な自信を持って演奏した。細かく段階分けされた色彩は明瞭さと細部をもたらした。聴衆の中には、彼が顔のない存在であるかのように、音楽に与えた影響を定義する方法を見つけようとする者もいる。反対のことを感じている者もいる。作曲家のジョン・ウィリアムズは、小澤がボストン交響楽団を指揮した時、「その音楽の中に私が気づいていなかった奥深いテクスチャーが聞こえた」と語った。
小澤の独特なアプローチは、彼の膨大なディスコグラフィー全体を通じて、チャールズ・アイヴズの交響曲第4番やアルノルド・シェーンベルクのグレの歌など、最も大規模で密度の高いスコアで実を結びました。また、エクトル・ベルリオーズやモーリス・ラヴェルなど、フランスの作曲家の作品でも、彼は最高の演奏を披露しました。以下は、小澤の録音された最高の演奏の一部です。
小澤のリズム、ダイナミクス、色彩、バランスの徹底した実現は、明らかな強みだった。彼の洗練さとディテールは、勝利、神秘、悲しみを表現することもできるが、苦味は得意ではなかった。言い換えれば、小澤は若々しい魅力を捨てることができなかったということであり、その魅力こそが、ガブリエル・フォーレのこのシングルディスクコレクションを小澤の必聴盤にしているのだ。遊び心のある曲からうっとりする曲まで、繊細さと感情が完璧だ。オーケストラは輝き、ソプラノのロレイン・ハントも輝き、その結果、音楽はさらに輝いている。』
・『僕をN響の指揮者に起用したのはNHKのプロデューサー、細野達也さんだったと思う。N響の放送録音の仕事を一緒にしたこともあった。細野さんが推薦しなければ、バーンスタインの副指揮者をしただけの僕をN響の幹部が指名するはずがない。
契約は1962年6月から半年間。7月にはメシアン作曲の《トゥランガリラ交響曲》を日本初演した。メシアン自身も立ち会って練習はみっちりした。初演は成功したと言っていいだろう。』
・6月からのNHK交響楽団指揮のため日本へ向かう。
・小澤は6月20日から10月22日までの23の演奏会のすべてと、11、12月の定期公演および《第九》を指揮する予定で、半年間「客演指揮者」としてNHK交響楽団と契約していた。
6月20,21,22日
<NHK交響楽団第432回定期演奏会>
モーツァルト《後宮からの誘拐》序曲
ストラヴィンスキー《祝賀前奏曲》
ストラヴィンスキー《ペトルーシカ》
黛敏郎《サムサーラ(輪廻)》
レスピーギ《ローマの松》
小澤征爾 NHK交響楽団
東京文化会館
7月4日
メシアン《トゥーランガリラ交響曲》
イヴォンヌ・ロリオ(ピアノ)
ジャンヌ・ロリオ(オンド・マルトノ)
本荘玲子(オンド・マルトノ)
小澤征爾 NHK交響楽団
この初演にはメシアン自身も立ち会ってみっちり練習し、初演は成功を収めた
7月21日 NHKサマーコンサート
コープランド《エル・サロン・メヒコ》
ガーシュウイン《パリのアメリカ人》
バーバー《弦楽のためのアダージョ》
モートン・グールド《アメリカン・シンフォニエッタ》より「パヴァーヌ」
ルロイ・アンダーソン《Classical Jukebox》
ルロイ・アンダーソン《A Trumpeter’s Lullaby》
ルロイ・アンダーソン《The Syncopated Clock》
グローフェ《大峡谷》組曲
小澤征爾 NHK交響楽団
8月3日
モーツァルト《セレナード》 ト長調 K.525
ラフマニノフ《ピアノ協奏曲第ニ番》
井内澄子(ピアノ)
チャイコフスキー《交響曲第四番》
小澤征爾 NHK交響楽団
室蘭市 富士製鉄体育館
8月4日
チャイコフスキー《弦楽セレナード》
ラフマニノフ《ピアノ協奏曲第ニ番》
ストラヴィンスキー《ペトルーシュカ》
井内澄子(ピアノ)
小澤征爾 NHK交響楽団
札幌市 市民会館
8月5日
モーツァルト《セレナード》K.525
メンデルスゾーン《ヴァイオリン協奏曲》
チャイコフスキー《交響曲第四番》
久保陽子(ヴァイオリ)
小澤征爾 NHK交響楽団
旭川市 市公会堂
8月7日
台風のために中止
帯広市
8月8日
モーツァルト《セレナード》K.525
メンデルスゾーン《ヴァイオリン協奏曲》
グローフェ:組曲《大峡谷》
久保陽子(ヴァイオリ)
小澤征爾 NHK交響楽団
札幌市 市民会館
↓ 小澤征爾 NHK室内合奏団
1962年9月12日 都市センターホール~
黛敏郎 交響詩《輪廻(さむさーら)》
小澤征爾 NHK交響楽団地
1962年6月22日 東京文化会館 大ホール~
(N響第432回定期公演から)
https://youtu.be/7IOLd8475bQ?si=SMShV4riK_0k5fth
9月20,21,23日
<NHK交響楽団第433回定期演奏会>
武満徹《弦楽のためのレクイエム》
モーツァルト《ヴァイオリン協奏曲第5番》
ベルリオーズ《幻想交響曲》
ボリス・グトニコフ(ヴァイオリン)
小澤征爾 NHK交響楽団
<N響東南アジアツアー>
10月征爾はN響と東南アジアへ二週間の演奏旅行に出発。
10月2日 香港
ベルリオーズ《ローマの謝肉祭》序曲
黛敏郎:交響詩《輪廻(サムサーラ)》
ストラヴィンスキー《火の鳥》
チャイコフスキー《交響曲第四番》
小澤征爾 NHK交響楽団
10月3日 香港
モーツァルト歌劇《後宮からの誘拐》序曲
武満徹《弦楽のためのレクイエム》
ストラヴィンスキー《プルチネルラ》
チャイコフスキー《ヴェイオリン協奏曲》
プロコフィエフ《ロメオとジュリエット》抜粋
海野義雄(ヴァイオリン)
小澤征爾 NHK交響楽団
10月5日 シンガポール
ベルリオーズ《ローマの謝肉祭》序曲
黛敏郎:交響詩《輪廻(サムサーラ)》
ブラームス《ハンガリー舞曲5,6番》
チャイコフスキー《交響曲第四番》
小澤征爾 NHK交響楽団
10月6日 シンガポール
モーツァルト歌劇《後宮からの誘拐》序曲
武満徹《弦楽のためのレクイエム》
ストラヴィンスキー《プルチネルラ》
チャイコフスキー《ヴェイオリン協奏曲》
プロコフィエフ《ロメオとジュリエット》抜粋
海野義雄(ヴァイオリン)
小澤征爾 NHK交響楽団
10月8日 クアラルンプール
モーツァルト歌劇《後宮からの誘拐》序曲
武満徹《弦楽のためのレクイエム》
ストラヴィンスキー《プルチネルラ》
チャイコフスキー《ヴェイオリン協奏曲》
プロコフィエフ《ロメオとジュリエット》抜粋
海野義雄(ヴァイオリン)
小澤征爾 NHK交響楽団
10月12日 マニラ
ベルリオーズ:「ローマの謝肉祭」序曲
黛敏郎:交響詩《輪廻(サムサーラ)》
ベートーヴェン《協奏曲第三番》
チャイコフスキー《交響曲第四番》
ネナ・デル・ロザリオ(ピアノ)
小澤征爾 NHK交響楽団
・フィリピンでベートーヴェン《ピアノ協奏曲第一番》を現地のピアニストが弾くカデンツァの途中で、征爾はうっかりバトンをあげてしまった。
オーケストラが楽器を構えたがカデンツァはまだ続いている。征爾のミスだった。
終演後征爾は先輩の楽員から”おまえやめてくれよ、みっともないから"とクソミソに言われ”申し訳ありません”と平謝りするしかなかった。
・この時のことを征爾は言う『僕には全然経験が足りなかった。ブラームスもチャイコフスキーも交響曲を指揮するのは初めて。必死に勉強したけど、練習でぎこちないこともあっただろう。オーケストラには気の毒だった。』
10月13日 マニラ
モーツァルト:歌劇《後宮からの誘拐》序曲
武満徹《弦楽のためのレクイエム》
ストラヴィンスキー《プルチネルラ》
チャイコフスキー《ヴェイオリン協奏曲》
プロコフィエフ《ロメオとジュリエット》抜粋
海野義雄(ヴァイオリン)
小澤征爾 NHK交響楽団
10月15日 沖縄
ベルリオーズ《ローマの謝肉祭》序曲
黛敏郎:交響詩《輪廻(サムサーラ)》
ストラヴィンスキー《火の鳥》
チャイコフスキー《交響曲第四番》
小澤征爾 NHK交響楽団
10月22日
明治学院85周年記念コンサート
ベルリオーズ《ローマの謝肉祭》序曲
チャイコフスキー《ヴァイオリン協奏曲》
チャイコフスキー《交響曲第四番》
海野義雄(ヴァイオリン)
小澤征爾 NHK交響楽団
共立講堂
10月30日
<日本フィル第51回東京定期演奏会>を指揮
プロコフィエフ《交響曲第5番》
モーツァルト《ピアノ協奏曲第20番》
ラヴェル《ラ・ヴァルス》
江戸京子(Pf.)
東京文化会館
・『ニューヨーク・フィルの偉い人が日本に来て、赤坂のナイトクラブに呼ばれたことがあった。音楽会の前日だった。だが、お世話になった人の誘いを断るのも気が引ける。行ったらN響の人たちにバレて気まずい思いをした。
そんなことが積もりに積もって、練習もうまくいかないほど険悪な雰囲気になっていた。「N響の幹部がしゃぶしゃぶ屋で話し合っているようだ」。細野さんからそう聞いて、嫌な予感がした。』
11月14,15,16日
<NHK交響楽団第434回定期演奏会>
ベートヴェン《交響曲第八番》
ドボルジャーク《チェロ協奏曲》
ラヴェル《ダフニスとクロエ》組曲第ニ番
ガスパール・カサド(チェロ)
小澤征爾 NHK交響楽団
N響第434回定期公演が新聞批評に酷評される
・11月16日にN響の演奏委員会が「今後小澤氏の指揮する演奏会、録音演奏には一切協力しない」と表明する。それは新聞に報じられ、征爾はマスコミに追われるようになった。世間の顰蹙を買い、電車に乗っていても変な目で見られた。
・事態を収拾するため、征爾をN響指揮者に推薦してくれたNHKの細野プロデューサーが『病気になったことにして、12月の定期演奏会をキャンセルすればいい』と言ってくれた。征爾は嘘をつくのもおかしな話だと考え、今後の演奏会の保証をしてもらうための覚書をNHK会長宛に送ったが、受け入れられず、12月の定期は中止と伝えられた。
・12月4日N響定期公演に向けリハーサルを開始するが、楽員のボイコットで練習不能に。
結局、同11日から三日間にわたり東京・上野の東京文化会館で行う予定だった定期演奏会は中止になった。
・征爾は楽団員が来るはずのない会場に一人、足を運んだ。楽屋口は記者で騒然としていたが、舞台にも客席にも人はいなかった。
・N響の指揮者として契約をしていた征爾の矜持だった。この騒動で征爾は精神的に滅茶苦茶にされ、泣き、悔しかった。
12月18日にNHK交響楽団を契約不履行と名誉棄損で訴えるまで発展
12月20日N饗第435回定期公演は中止と発表された。
・征爾は契約通り上野の東京文化会館の会場に向かった。やがて開演時刻となり指揮台に立ったが、そこには楽員も聴衆もいない。
12月21日新聞は社会面に「天才は独りぽっち」とか「指揮台にポツン」と報道した。
征爾とNHKは折衝を重ねたが折り合わず、N響は征爾に内容証明郵便を送り付けた。世間では「NHK事件」という。
・征爾は日本と"決別"する形で再び海を渡った。
その後、米国を軸に海外に活躍の場を求め、その名声を高めていった。
・N響と「雪解け」したのは三十二年の歳月を経た1995年1月である。吉田秀和氏たちの仲介でN響と和解が成立した。東京・赤坂のサントリーホールでの演奏会となった。
・N響とのトラブル後、ニューヨークに戻った征爾は、マネージャーのロナルド・ウィルホードにきっぱり『オレ、もう日本になんか帰らないよ』といった。
のちに征爾は何かのインタビューで『僕は、あのことがあったので、日本にいられなくなり、外国に行き、良かったのだけれど』と、事件を振り返って、現在の結果に結びついたのだと、強く語った。
サンフランシスコ交響楽団定期演奏会でハチャトリアンの代役でベルリオーズ《幻想交響曲》を指揮して好評を博した。
<下、ヤング・ピープルズ・コンサート: Young Performers No. 3 小澤征爾 / · Bernstein レナード・バーンスタイン · New York Philharmonic>
Original CBS Television Network Broadcast Date: 14 April 1962.