ブルックナー 国際ブルックナー協会と版問題

9. IBG国際ブルックナー協会と版問題IBG International Bruckner Society und Edition Issues

1. ブルックナーは17才の1841年から70才になった1894年までの間中、オルガニスト職と教師生活が生計維持の支えであった。この時代に彼と同じような運命を辿った大作曲家は皆無だ。彼は作品を務めの合間に創作した。後世に残された版問題も、ある部分こうした事情が絡んでいると考えられる。作品がはじめから成功を収めていたなら版問題はもっと変わったものになっていたかもしれない。多くの場合作曲に集中できなかったこうした環境が後々、ブルックナー自身が改訂や補筆を加えていったことで一つの作品に何種類の版が残されたとも言える。また、彼の友人や弟子の提案で多くの変更が加えられたことによる複数の版もそうした事情が存在したと思われなくもない。
Bruckners Lebensunterhalt wurde durch seine Karriere als Organist und sein Lehrleben von 1841, als er 17 Jahre alt war, bis 1894, als er 70 Jahre alt war, unterstützt. Kein bedeutender Komponist hatte in dieser Zeit das gleiche Schicksal wie er. Er schuf die Arbeit zwischen seinen Pflichten. Es wird angenommen, dass diese Umstände teilweise mit den in der Nachwelt zurückgebliebenen Editionsproblemen zusammenhängen. Wenn die Arbeit von Anfang an erfolgreich gewesen wäre, wäre die Ausgabe der Ausgabe möglicherweise ungewöhnlicher gewesen. Man kann sagen, dass Bruckner selbst dieses Umfeld später überarbeitete und ergänzte, was ihn oft daran hinderte, sich auf die Komposition zu konzentrieren, und mehrere Ausgaben in einem Werk hinterließ. Es ist auch möglich, dass dies in mehreren Ausgaben geschah, wobei viele Änderungen auf Vorschlag seiner Freunde und Schüler vorgenommen wurden.

2. ブルックナーの遺言書=遺贈稿の部分Bruckners Testament = Teil des Nachlasses
『Ich vermach dieI Originalmanuscripte meiner nachbeseichneten Compositionen:der Sinfonien bisher acht an der Zahl, die neunte wind, so Gott will, bald vollendet werden, – der 3 grossen Messen, des Quintetts, des Te Deums, das 150 psalms und des Chorwerkes Helgoland-der Kais. und Kōnigl. Hofbibliothek in Wien und ersuche die k.u.k. Direction der genannten Stelle, fūr die IAufbewahrung dieser Kanuscripte gūtigst Sorge tragen Zu wollen,』以下略.

※Anton Bruckner wollen 10,11,1893『Anton Bruckner und die Nachwelt: Zur Rezeptionsgeschichte …』最終アクセス2020年3月18日
編者訳:<ブルックナー遺贈稿の部分>『 私は以下の作品のオリジナル手稿譜を遺贈します:交響曲これまでに8つを数え、神が望まれるならば、第9番は間もなく完成します。3つの大《ミサ曲》、《弦楽五重奏曲》、《テ・デウム》、《詩篇150番》、合唱曲《ヘルゴランド》、以上の作品のオリジナル手稿譜をウィーンのオーストリア帝室図書館に遺贈します。そしてオーストリア=ハンガリー帝国帝室並びに王室の上記指定された機関で管理することを求めます。これらオリジナル手稿譜について保管に寛大な配慮を賜られるよう依頼します。 』以下略
<オリジナル手稿譜Originalmanuskript>
Mus.Hs.19.473:第1交響曲Erste Symphonie『ヴィーン稿Wiener Manuskript』
Mus.Hs.19.474:第2交響曲Zweite Symphonie『第1稿』
Mus.Hs.19.475:第3交響曲Dritte Symphonie『第2稿』(フィナーレのみ、のちに国立図書館は全曲を取得した)
Mus.Hs.19.476:第4交響曲『第2稿』
Mus.Hs.19.477:第5交響曲『第2稿』(第1稿は筆写譜としても存在しない)
Mus.Hs.19.478:第6交響曲 唯一の自筆稿
Mus.Hs.19.479:第7交響曲 唯一の自筆稿、印刷用原稿として使われたため他人の書き込み多数
Mus.Hs.19.480:第8交響曲 第1,2,4楽章は『第2稿』、第3楽章のみ『第1稿』
Mus.Hs.19.481:第9交響曲 完成された1~3楽章のみ
Mus.Hs.19.482:弦楽5重奏曲ヘ長調Streichquintett in F-Dur
Mus.Hs.19.483:ミサ曲第1番ニ短調Messe Nr. 1 d-Moll
Mus.Hs.19.484:詩篇第150番Psalm 150
Mus.Hs.19.485:ヘルゴラント Helgoland
Mus.Hs.19.486:テデウム Te deum
(Mus.Hs.とはムジーク・ハンドシュリフト)
<遺贈稿>はブルックナー研究家:川﨑高伸氏のアドバイスと好意による

3. 国際ブルックナー協会の使命
Editor’s translation and additions:The International Bruckner Society (German Internationale Bruckner-Gesellschaft) was an organization which began its existence in 1927 in Leipzig and was officially founded in 1929 in Vienna. Its main purpose since then has been to publish editions of the music of Anton Bruckner. Most of Bruckner’s music had been published during the composer’s lifetime or shortly after his death, but often in versions that incorporated numerous changes suggested by his friends and students. In the case of Bruckner’s unfinished Ninth Symphony, Bruckner student Ferdinand Loewe made several unauthorized changes even after Bruckner’s death. The mission of the International Bruckner Society was to publish versions of Bruckner’s works based directly on the original manuscripts, which the composer had bequeathed to the Austrian National Library.
編者訳並びに加筆:『 国際ブルックナー協会は、ライプツィヒで1927年に設立され、1929年にウィーンで公式に設立された組織です。 それ以降の主な目的は、アントン・ブルックナーの音楽のエディションを出版することでした。 ブルックナーの音楽のほとんどは、作曲家の生涯または彼の死の直後に公開されていましたが、多くの場合、友人や弟子によって提案された多数の変更を組み込んだバージョンで公開されていました。 ブルックナーの未完成の《第九交響曲》の場合、ブルックナーの弟子フェルディナント・レーヴェは、ブルックナーの死後もいくつかの無許可の変更を加えました。ブルックナーは、オリジナル手稿譜を帝国王室図書館(現在のオーストリア国立図書館)に委ねたとき、彼は「遺言」に従って彼の音楽を私たちに遺贈しました。それが後世に引き継がれることを望んだ。 国際ブルックナー協会の使命は、作曲家がオーストリア国立図書館に遺贈したオリジナル手稿譜に直接基づいてブルックナーの作品のバージョンを公開することです 』。
Editor’s translation and additions:The Society hired Robert Haas as General Editor, with Alfred Orel as his assistant. The first publication was Orel’s critical edition of the Ninth Symphony, published in 1934 but premiered two years earlier in 1932 in a concert by Siegmund von Hausegger, conducting the Münchner Philharmoniker. and its success provided much impetus for a complete critical edition of Bruckner’s work.
編者訳と加筆:1933年、フィルザー出版社が倒産した時点で、国際ブルックナー協会は、特にブルックナー・コンプリート・エディションを出版するために、1932年設立したMusikwissenschaftlicher Verlag(MWV;文字通り「音楽学出版社」)が版権の譲渡を受けた。『 オーストリア国立図書館音楽資料部長であるロバート・ハースが編集者に任命され、アルフレッド・オーレルが共同編集者に任命された。 1934年アルフレッド・オーレル(Alfred Orel)は第9交響曲のクリティカル・エディションとそのフィナーレのスケッチの重要版を刊行した。このクリティカル・エディションが、1932年にジークムント・フォン・ハウゼガーを指揮のミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団演奏で初演されている。 そしてその成功は、ブルックナーの作品の完全な重要版への大きな推進力となった 』。1937年11月オーレルが辞任し、レオポルド・ノヴァークが共同編集者として任命された。

4. 国際ブルックナー協会による原典版作業Urtextarbeitとは、弟子たちの関与した加筆部分を明確にし、ブルックナー本来の楽譜に戻す作業であるといわれている。
原典版作業を中心となって進めたのがローベルト・ハースRobert Haas(1930~1945年)、レオポルド・ノヴァークLeopold Nowak,(1946~1989年)、ヘルベルト・フォッグ(1989~2001年)等である。
The Urtextarbeit (urtextaring) process by the International Bruckner Society is said to be a process of clarifying the additions made by his disciples and restoring the score to its original form.
The people who took the lead in the Urtextaring process were Robert Haas (1930-1945), Leopold Nowak (1946-1989), and Herbert Vogg (1989-2001).

4-1. 当初ハース(Robert Haas)は、ウィーンのオーストリア帝室図書館音楽資料部長をしていた。 ノヴァーク(Leopold Nowak)はここで、ハースを補佐して「ブルックナー全集)」の助手をしていた。
ハースは、1930年代のブルックナーのオリジナル手稿譜に基づいて、最初の自筆譜=オリジナルこそが真のブルックナーの作品であるとした。「理想的な」版と考えるものを作成するために遺贈稿にある書き込みの一部を削除し、ブルックナーが削除したものの一部を元に戻し、あるいは別のものに置き換えることや、異なる原稿を混ぜることをためらわなかった(作品を作曲家自身のスタイルに対応させるために)。また、後の書き込みや削除は無視すべきとして校訂し第三帝国(ナチス)に承認され、「原典版」として出版した。
これを「第一次全集版(旧全集)」または「ハース版」と称している。
戦後、ハースがナチス・ドイツの協力を受けていたため解任された。
1946年オーストリア国立図書館の音楽関係資料の収集責任者としてノヴァークが音楽資料部長に就任した。

4-2. オーストリア国立図書館音楽資料部長に就任したノヴァークは、いくつかの作品の原典版を国際ブルックナー協会のために校訂した。これを「第二次全集版(新全集)」または「ノヴァーク版」と称している。
彼は、自筆と印刷された楽譜資料に基づいてブルックナーの作品のいくつかの資料を出版し、違いを詳細に文書化することを自分の仕事と考えた。ノヴァークは書き込みや削除は本人が合意したのであれば基本良しとしたが、そのまま採用せず、さらに慎重に対応しながら校訂(第7のかっこ標記?)したとされている。

4-3. 国際ブルックナー協会(International Bruckner Society)」は、初版群に含まれる弟子たちの関与を明らかにし、それを削除し、本来の楽譜に戻すという研究者の機運から、1927年ライプツィヒに設立された。音楽学者マックス・アウアーMax Auerの提唱により、1929年ウィーンで正式に国際ブルックナー協会(Internationale Bruckner-Gesellschaft, 略称IBG)が創設された。
IBGの目的は、「 言語的および政治的障壁を克服し、ブルックナーの本質を広めることです。その目標は、あらゆる場所でのブルックナーのライフワークに対する理解を深め、その普遍的な普及と認識を確立することでした 」と述べている。
1930-1955年には、ドイツ、オーストリア、スイスのさまざまな都市で合計13の国際ブルックナーフェスティバルが開催された。
IBGの主な仕事は、ブルックナーがオーストリア帝室図書館に遺贈したオリジナル手稿譜に直接基づいて、オーストリア帝室図書館と国際ブルックナー協会の共同編纂事業としてブルックナーの作品のバージョンを公開することである。
1933年、フィルザー出版社が倒産した時点で、国際ブルックナー協会は、特にブルックナー・コンプリート・エディションを出版するために、1932年設立したMusikwissenschaftlicher Verlag(MWV「音楽楽出版社」)が版権の譲渡を受けた。
IBG-Mitteilungsblattは1971年から登場してる(1993年から主なタイトルの研究と報告がある)。
ナチス・ドイツの台頭により、1938年にオーストリアがドイツナチスに統合された直後、IBGは公的に解散し、1951年まではライプツィヒで活動を続けていた。
IBGによる原典版校訂作業を、当初ローベルト・ハースを編集主幹(1930–1944年)が、初期には音楽学者アルフレート・オーレルAlfred Orelが編集に加わり出版されていた。
後期にレオポルト・ノヴァークが校訂作業を共にした。この間、以下の楽譜が「原典版」と称して出版された。
The International Bruckner Society was founded in Leipzig in 1927, as a result of the movement of researchers to clarify the involvement of the disciples in the first editions, remove them, and return the original scores to the original scores. At the suggestion of musicologist Max Auer, the International Bruckner Society (Internationale Bruckner-Gesellschaft, IBG) was officially founded in Vienna in 1929.
The IBG’s purpose is to “overcome linguistic and political barriers and to disseminate the essence of Bruckner. Its goal was to increase the understanding of Bruckner’s life work everywhere and to establish its universal dissemination and recognition.”
A total of 13 International Bruckner Festivals were held in various cities in Germany, Austria, and Switzerland from 1930 to 1955.
The main task of the IBG is to publish versions of Bruckner’s works as a joint editorial project between the Austrian Imperial Library and the International Bruckner Society, based directly on the original manuscripts bequeathed by Bruckner to the Austrian Imperial Library.

When the Filser Verlag went bankrupt in 1933, the International Bruckner Society transferred the copyrights to the Musikwissenschaftlicher Verlag (MWV “Music Publishing House”), which it had founded in 1932, specifically to publish the complete Bruckner editions.

The IBG-Mitteilungsblatt has been around since 1971 (with research and reports on the main titles since 1993).

With the rise of Nazi Germany, the IBG was officially dissolved shortly after Austria’s integration into Nazi Germany in 1938, and continued to operate in Leipzig until 1951.

The IBG’s Urtext edition was first published under the editor-in-chief Robert Haas (1930–1944), and in the early stages under the editorship of musicologist Alfred Orel.
In later editions, Leopold Novak joined in the editing. During this period, the following scores were published under the name “Urtext edition”.

4-4. ローベルト・ハースRobert Haas,編集主幹(1935~1944年)の校訂を「第1次全集版(旧全集)」または「ハース版」と称し、オーレルが校訂した楽曲については「オーレル版」と称している。
Chronologie der Bruckner-Gesamtausgabe 1934-1944 (Editionsleitung Robert Haas)
1934 9. Symphonie (Orel)
   Vier Orchesterstücke (Orel)
1935 1. Symphonie, Linzer und Wiener Fassung (Haas)
5. Symphonie (Haas)
6. Symphonie (Haas)
1936 4. Symphonie, 2. Fassung (Haas)
1938 2. Symphonie als Mischform aus 1. und 2. Fassung (Haas)
1939 8. Symphonie als Mischform aus 1. und 2. Fassung (Haas)
1940 Messe in e-Moll, 2. Fassung (Haas – Nowak)
1944 7. Symphonie (Haas)
Messe in f-Moll (Haas)
※引用(www.mwv.at/ 、Musikwissenschaftlichen Verlag – 国際ブルックナー協会によるスコアの出版元)
1934年 《交響曲第9番》アルフレッド・オーレル校訂
1934年 《4つの管弦楽小品》アルフレッド・オーレル校訂
1935年 《交響曲第1番》「リンツ版」および「ウィーン版」 ハース校訂
1935年 《交響曲第5番》ハース校訂(同年10月20日ミュンヘンでジークムント・ハウゼッガー指揮で演奏された)
1935年 《交響曲第6番》ハース校訂
1936年 《交響曲第4番》1878/80年稿 ハース校訂
1938年 《交響曲第2番》ハース校訂
1939年 《交響曲第8番》ハース校訂
1940年 《ミサ曲第2番》ホ短調 ハース及びノヴァーク校訂
1944年 《交響曲第7番》ハース校訂
1944年 《ミサ曲3番》へ短調 ハース校訂

4-5. 1951年、国際ブルックナー協会の活動拠点はウィーンに戻り、ハースが解任された後の作業は、レオポルド・ノヴァークが編集主幹(1951–1989年)に任命され再開された。
ノヴァークは、ハースが既に校訂した作品もすべて校訂をやりなおしを命じられ、あらためて出版した。
戦後最初の出版物はフリッツ・オーザー(Fritz Oeser)編集の《交響曲第3番》であった。以後複数の作品を発表した。
これらを「第2次全集版(新全集)」または「ノヴァーク版」と称している。
ノヴァーク版には、第一稿(N₁)、第二稿(N₂)、第三稿(N₃)と複数の稿が存在する。
このため、「ハース版」と「ノヴァーク版」の2種類の原典版が存在する。
In 1951, the International Bruckner Society moved back to Vienna, and after Haas was dismissed, work resumed under the appointment of Leopold Novak as editor-in-chief (1951–1989).
Novak was ordered to redo all the works that Haas had already edited, and republished them.
The first publication after the war was Symphony No. 3, edited by Fritz Oeser. Several works were published after that.
These are called the “Second Complete Edition (New Complete Edition)” or “Novak Edition”.
There are several versions of the Novak Edition, including the first draft (N1), second draft (N2), and third draft (N3).
For this reason, there are two original versions, the “Haas Edition” and the “Novak Edition”.

4-6. 戦後就任したレオポルト・ノヴァークLeopold Nowak,編集主幹の校訂した「第2次全集版」(1951-1989年ノヴァーク版)は以下の通り。
Chronologie der Bruckner-Gesamtausgabe 1951 – 1989 (Editionsleitung Leopold Nowak)
1951 9. Symphonie (Nowak)
5. Symphonie (Nowak)
1952 6. Symphonie (Nowak)
1953 4. Symphonie, 2. Fassung (Nowak)
1. Symphonie, Linzer Fassung (Nowak)
1954 7. Symphonie (Nowak)
1955 8. Symphonie, 2. Fassung (Nowak)
Streichquartett c-Moll (Nowak)
1957Messe d-Moll (Nowak)
1959 3. Symphonie, 3. Fassung (Nowak)
Messe e-Moll, 2. Fassung (Nowak)
1960Messe f-Moll (Nowak)
1962 Te Deum (Nowak)
1963 Streichquintett mit Intermezzo (Nowak)
1964 Psalm 150 (Grasberger)
1965 2. Symphonie (Nowak)
1966 Requiem (Nowak)
1968 „Nullte” Symphonie (Nowak)
1972 8. Symphonie, 1. Fassung (Nowak)
1973 Studiensymphonie (Nowak)
1975 4. Symphonie, 1. Fassung (Nowak)
Missa solemnis in B (Nowak)
1977 Messe e-Moll, 1. Fassung (Nowak)
1979 3. Symphonie, 1. Fassung (Nowak)
1980 Adagio Nr. 2 zur 3. Symphonie (Nowak)
1. Symphonie, Wiener Fassung (Brosche)
1981 Finale 1878 zur 4. Symphonie (Nowak)
3. Symphonie, 2. Fassung (Nowak)
1984 Kleine Kirchenmusikwerke (Bauernfeind – Nowak)
1985 Rondo c-Moll für Streichquartett (Nowak)
1987 Kantaten und Chorwerke (Burkhart – Führer – Nowak)
1988 Werke für Klavier zu zwei Händen (Litschauer)
※引用(www.mwv.at/ 、Musikwissenschaftlichen Verlag – 国際ブルックナー協会によるスコアの出版元)
1951年<IX> 《交響曲第9番》ノヴァーク校訂
1951年<V> 《交響曲第5番》ノヴァーク校訂
1952年<VI> 《交響曲第6番》ノヴァーク校訂
1953年<IV/2> 《交響曲第4番》第二稿 ノヴァーク校訂
1953年<I/1> 《交響曲第1番》リンツ稿 ノヴァーク校訂
1954年<VII> 《交響曲第7番》ノヴァーク校訂
1955年<VIII/2> 《交響曲第8番》第二稿 ノヴァーク校訂
1955年 《弦楽四重奏曲》ハ短調 ノヴァーク校訂
1957年 《ミサ曲第1番》ニ短調 ノヴァーク校訂
1959年<III/3> 《交響曲第3番》第三稿 ノヴァーク校訂
1959年 《ミサ曲第2番》ホ短調 第二稿 ノヴァーク校訂
1960年<XVIII> 《ミサ曲第3番》ヘ短調 ノヴァーク校訂
1962年 《テ・デウム》ノヴァーク校訂
1963年<III/2> 《弦楽五重奏曲》ヘ長調(含むインテルメッツォ)ノヴァーク校訂
1964年 《詩編150》フランツ・グラスベルガー校訂 
1965年<II> 《交響曲第2番》ノヴァーク校訂
1966年 《レクイエム》ノヴァーク校訂
1968年<X> 《交響曲0番》ノヴァーク校訂
1972年<VIII/1> 《交響曲第8番》第一稿 ノヴァーク校訂
1973年<XI> 《交響曲》へ短調 ノヴァーク校訂
1975年<IV/1> 《交響曲第4番》第一稿 ノヴァーク校訂
1975年 《荘厳ミサ曲》ノヴァーク校訂
1977年 《ミサ曲第2番》ホ短調 第一稿 ノヴァーク校訂
1979年<III/1> 《交響曲第3番》第一稿 ノヴァーク校訂
1980年<zuIII/2> 《交響曲第3番》第二楽章アダージョ ノヴァーク校訂
1980年<I/2> 《交響曲第1番》ウィーン稿 ギュンター・ブローシェ校訂
1981年<zuIV/2> 《交響曲第4番》1878年のフィナーレ<フィナーレ2>ノヴァーク校訂
 《交響曲第3番》第二稿 ノヴァーク校訂
1984年 《小規模教会音楽作品》(混声合唱) ノヴァーク及びバウエルンファイント校訂
1985年 《弦楽四重奏曲》ロンド ハ短調 ノヴァーク校訂
1987年  Kantaten und Chorwerke (Burkhart – Führer – Nowak)
1988年  Werke für Klavier zu zwei Händen (Litschauer)

1989年ノヴァークは、健康上の理由で編集主幹を辞任した。

4-7. ノヴァーク以後は、フォッグが編集主幹に任命された。
1989年 国際ブルックナー協会校訂譜出版社のヘルベルト・フォッグ(Herbert Vogg)が編集主幹に就任し、ウィリアム・キャラガン(William Carragan)、ベンヤミン=グンナー・コールズ(Benjamin-Gunnar Cohrs)、ベンヤミン・コーストヴェット(Benjamin Korstvedt)ポール・ホークショウ(Paul Hawkshaw)や他のブルックナー研究者と協力して校訂譜を作成し続け、この作業は2001年に完了した。

キャラガン Carragan校訂、コールズCohrs校訂、コーストヴェットKorstvedt校訂、ホークショウHawkshaw校訂等々の新校訂譜が出版されている。
これらは「ノヴァーク版」とは称しないが「新全集版」に含まれる。

4-8.日本人ブルックナー研究家の発見ほか
※2003年《交響曲第8番》第三楽章<アダージョ2>、Gault=Kawasaki 校訂版。
この版は、大阪在住のブルックナー研究家、川﨑高伸TAKNOBU KAWASAKI,が1999年ウィーンのオーストリア国立図書館で《交響曲第8番》のアダージョに関するマイクロフィルムを閲覧中に「コピー」とだけで登録されている資料を見つけた。それまでに知られていた<アダージョ1>(第1稿)とも<アダージョ3>(第2稿)とも全く違う資料(Mus.Hs.34.614)であり、川崎はそれをコピーして持ち帰り、帰国後調査した結果、それは「ブルックナーの第2稿のオリジナル譜Mus.Hs.40.999(手書き筆写合成譜)が一旦完成した時点で筆写されたものであると判明し、校訂されたものであった。「オリジナル譜」の方は、その後さらに大々的に改訂されて現行の第2稿として現存する「アダージョ3」。
発見の報道は、2004年8月30日付け日本経済新聞朝刊文化欄に掲載された。
この版の世界初演は、2004年9月4日、内藤彰指揮、東京ニューシティ管弦楽団が池袋の東京芸術劇場で演奏さされた。CDとなっている(DCCA-0003デルタ・クラシックス)。また、シャラーSchallerもこれをCDとしている(Gerd Schaller Phiharmonie Festiva PH13027 Profil Medien Gmbh 2013)。
これは、単独楽章の異稿の通例で《交響曲第8番》<アダージョ2>と名付けられた。同資料に注目していたダーモット・ゴールトとの共著としてGault=Kawasaki Version名で、ゴールトがホームページ上で公表した。なお、全集版では《交響曲第8番》担当のホークショウが同曲の補完として出版する予定といわれている。
この項参考資料:※川崎高伸のブルックナー研究論文を下記に記す(川崎氏の好意と協力を受けた)。
1. 『ブルックナー「第8交響曲」アダージョの楽譜を探る』、芸術現代社 ⑴-1999年11月、その⑵2000年7月、そ⑶2004年
12月発行 。
2. 『国際ブルックナー協会全集版「第四交響曲」第3稿をめぐって』 (特集2 ブルックナー–版問題を探る) 、音楽現
代、2005年11月発行 。
3. 『ブルックナー/交響曲第3番』~新稿世界初演、音楽現代、2008年1月発行。
4. 『フルトヴェングラー・カラヤン・朝比奈隆のブルックナー演奏』、音楽現代、2008年12月発行。
5. 『ブルックナーの交響曲にとって「版」とはなにか?』、音楽現代、2009年8月発行。
6. 『フルトヴェングラーにみるブルックナー演奏再考』、音楽現代、2010年5月発行。
7. 『アントン・ブルックナー』(特集=作曲家の交響曲に至る道)、音楽現代、2014年6月発行。
8. 《第八交響曲》アダージョの五つの形-「アダージョ2」、http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/8sy.adagiohtml 。

※近年、国際ブルックナー協会による全集版(原典版)による「無視」や「削除」を様々な理由から見直す動きが出ている。第三次批判全集版として「新アントン・ブルックナー全集」(Neue Anton Bruckner. Gesamtausgabe)の作業が開始された。

※かなりの数の指揮者(例えば:ヘルベルト・フォン・カラヤン、ギュンター・ヴァンド、ベルナルト・ハイティンク)がハース版を演奏している。ノヴァークの戦後版は、ハースの戦前版よりもはるかに演奏されている。

*2003 Gault=Kawasaki revised edition of the third movement of Symphony No. 8, Adagio 2.
This edition was discovered in 1999 by TAKANOBU KAWASAKI, a Bruckner researcher living in Osaka, who was browsing microfilm related to the Adagio of Symphony No. 8 at the Austrian National Library in Vienna when he found a document registered simply as a “copy.” The document (Mus.Hs.34.614) was completely different from the previously known Adagio 1 (first draft) and Adagio 3 (second draft). Kawasaki copied it and took it home with him. After his return, he discovered that it was a transcription of Bruckner’s second draft, Mus.Hs.40.999 (a composite handwritten transcription), which was completed at the time of its completion, and that it had been revised. The original was then extensively revised, resulting in the current Adagio 3, which exists today as the second draft.

The discovery was reported in the culture column of the August 30, 2004 morning edition of the Nihon Keizai Shimbun.

The world premiere of this version was on September 4, 2004, at the Tokyo Metropolitan Theatre in Ikebukuro, conducted by Akira Naito and performed by the Tokyo New City Orchestra. It is available on CD (DCCA-0003 Delta Classics). Schaller has also released this as a CD (Gerd Schaller Phiharmonie Festiva PH13027, Profil Medien Gmbh 2013).

This was titled Adagio 2 of Symphony No. 8, as is customary for a variant of a single movement. Dermot Gault, who had been paying close attention to the material, published it on his website under the title Gault=Kawasaki Version, as a collaboration with Gault. It is said that Hawkshaw, who worked on Symphony No. 8, plans to publish a complete edition as a supplement to that piece.

References for this section: *Kawasaki Takanobu’s research papers on Bruckner are listed below (with the kind cooperation and support of Kawasaki).

1. “Exploring the score of the Adagio of Bruckner’s 8th Symphony,” Geijutsu Gendaisha, 1.-November 1999, 2.-July 2000, 2.-December 2004.

2. “Regarding the Third Draft of the International Bruckner Society’s Complete Edition of the Fourth Symphony” (Special Feature 2: Bruckner – Exploring the Edition Issue), Ongaku Gendai, November 2005.
3. “Bruckner/Symphony No. 3” – World Premiere of the New Draft, Ongaku Gendai, January 2008.
4. “Bruckner Performances by Furtwängler, Karajan, and Asahina Takashi”, Ongaku Gendai, December 2008.
5. “What is the Meaning of ‘Edition’ for Bruckner’s Symphonies?”, Ongaku Gendai, August 2009.
6. “Rethinking Bruckner Performances in the Light of Furtwängler”, Ongaku Gendai, May 2010.
7. “Anton Bruckner” (Special Feature: The Composer’s Path to a Symphony), Ongaku Gendai, June 2014.
8. Five Adagio Forms from the Eighth Symphony – “Adagio 2”, http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/8sy.adagiohtml.

*In recent years, there has been a movement to reconsider the “ignorance” and “deletion” in the complete edition (original edition) by the International Bruckner Society for various reasons. Work has begun on the “New Anton Bruckner Complete Edition” (Neue Anton Bruckner. Gesamtausgabe) as the third critical complete edition.

*A considerable number of conductors (e.g. Herbert von Karajan, Günter Wand, Bernard Haitink) perform the Haas edition. Novak’s postwar edition is performed much more often than Haas’ prewar edition.

参考、出典、引用Referenzen, Quellen, Zitate:「ANTON BRUCKNER (1824 -1896) CRITICAL COMPLETE EDITION」。http://www.mwv.at/english/TextBruckner/BruckStart/BruckStart.htm、最終アクセス2020年2月5日。「ブルックナーの版問題」、https://ja.wikipedia.org/wiki/ブルックナーの版問題、最終アクセス2020年2月7日。「ブルックナー」、門馬直美著、春秋社、1999年発行。「クラシック作曲家辞典」、中河原理監修、フェニックス企画編 東京出版堂、平成4年発行。「ブルックナーの研究」、レオポルド・ノヴァーク著、樋口隆一訳、音楽之友社、2018年発行。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」 (2017/11/24 05:17 UTC 版)最終アクセス2020年2月5日 / 「Versions and editions of Bruckner’s symphonies」、https://en.wikipedia.org/wiki/Versions_and_editions_of_Bruckner%27s_symphonies、最終アクセス2020年2月9日。「ブルックナー(作曲家別・名曲解説ライブラリー)」、音楽之友社編、音楽之友社、2002年発行。「ブルックナー交響曲」ハンス=ヨアヒム・ヒンリヒセン著、高松祐介訳、春秋社、2018年発行。国際ブルックナー協会全集版「第四交響曲」第3稿をめぐって (特集2 ブルックナー–版問題を探る)、https://ci.nii.ac.jp/naid/40006987825。https://ci.nii.ac.jp/author?q=%E5%B7%9D%E5%B4%8E+%E9%AB%98%E4%BC%B8(www.mwv.at/ 。Musikwissenschaftlichen Verlag – 国際ブルックナー協会によるスコアの出版元)、最終アクセス2020年3月21。